気がついた時に書き足してます。
  みんながすぐに「書け」とか「出せ」とかいうアーティストステイトメントとかなわけじゃないし、手紙でもないし、とにかく全てが忘備録とか備忘録であり、キリがないものなので、どうやってキリをつけようか、どういう目的にしよう、などと考えているうちに、考えるのが面倒になってしまって、ここに放置して育てる事にしました。なんていうのかな、空き地から気に入った雑草を採ってきて鉢植えしたけど、なんかあんまり変化もないし、勝手に育ってくれた方がぼくにとってもこいつにとっても幸せなんじゃないかな、と思って元の空き地にもう一度植えた、みたいな物です。
なにかの手違いでこれを読んでいるあなたは、洗面所の窓を細くあけた隙間に見える、「隣の空き地から1度無くなったけど、ん?また生えているな」っていう植物の成長をたまに気にしてみる。みたいな感じで半年に一回とか一年に一回とか、思い出したら観察してもらえればいいのかと思っています。一度見て、そのまま忘れてくれるのもいい。日本人にも、いや、自分でも何がポイントなのかわからないようなものも入ってくるので英訳するつもりもなしです。あ、でも逆に翻訳可能ならそれはそれで希望ある話だなと思いますが、今のところないかなと。
一応、なんか、どういう事が書かれているか冒頭に書いてるけど、あまり気にしないでほしいし、面倒だから意味とか意義みたいな「い」で始まるような事を聞かないでほしい。
雨宮庸介

最近の記入:
2017年9月23日 


この文章は2014年12月に記録しはじめた。



「残酷な奴と思われるかもしれないけれど、魚の神経〆の映像観るのが好きなんだよね」
疲れている時にお酒が入ると、そういう、わざわざ言わなくても良いような事を言ってしまう。

九州のある土地、展覧会がスタートした夜。話はそんな方向に向かっていった。
展覧会に参加する為に日本に戻るほんの直前。もう空港へむかっている途中、とても良くしてくれた画家が亡くなる報せを受けた。すでに出発してしまっていた僕は喪服を持ってなかったが、どうにか上下は黒白にできた。しかし靴がない。しかたないので自慢の黄色い靴で葬儀に参加した。なんだかそれが気になって亡くなった彼女と向き合う事が上手くできなかった気がするけれど、しばらくお会いする事がなかったその人の死と向き合えたかどうかは、黒い靴を履いていたとしてもわからない。

九州の展覧会には、僕よりももっと彼女と近しい画家の友人も居た。彼とは東京の葬儀で会った後に違う便で入った九州で会った事になる。彼はちゃんと向き合えたのだろうか。
どういう事情だか忘れたけれど、展覧会のいろんな都合で会場から遠く離れた昭和の街を再現したノスタルジックな町並みの一軒家で夜がふけた。なんだか色々な事が重なり、それがきっかけに死後の世界や、死ぬ前に視る走馬灯の話になった。
皆さまざまな理由で疲れ切っていたので、夜が染みやすかった。コップの底から黒い水が溜まるように、床から天井まですっかりと夜になった。



魚の鮮度を保つ為の特別な技術、神経〆(しんけいじめ)。
活け〆の一種で、神経抜きとも言う。これをするのとしないのでは明らかに刺身の味が違う。死後硬直を回避し、体温の急上昇を抑え、新鮮さを担保したまま、うまみ成分と歯ごたえを両立させる。長い年月、魚類を食してきた先人の知恵だ。

脳を壊し、エラを切り血を抜く。そして、骨髄の中にある神経を破壊する「神経〆」を施す。
既に「死んでいる」はずの魚だが、神経〆の瞬間だけビクつき、全てのヒレを広げ、直後に一瞬だけ体中の色素を失う。その後、すぐに生きているかのような色に戻る。

神経〆の映像は、生物の死にはいくつかの段階がある事を教えてくれる。
そして、生物の段階的な死(脳死、肉体的な死、神経死)と、為す事と見る事に同じ部位を発火させているニューロンの組み合わせは、論理的な「死後の世界」への順路をチラつかせる。
神経〆の映像を見ていると、その、一瞬のビクつき、色素が抜けるコンマ何秒かに、封じ込められた、とてつもなく長い時間の解放を感じてしまう。そこにはものすごい長い映像、そう、死ぬ前にみる、かけめぐる走馬灯のような映像が凝縮され詰まっているのではないだろうか。一秒間にセルが24枚入って映像になって、、、というような今ある映像システムとは、時間感覚や皮膚感覚のデフォルトも、解凍方式も組成も全く異なる、莫大なイメージ群が凝縮されているのではないかと思えてならない。イメージを「視る」のではなくてイメージを「夢見る」ような テクスチャーの映像塊。



僕はなんとなく、死ぬ直前に視ると言われている「走馬灯」、それにあたる「僕の脳が僕に見せる最後の映像」は、なんだかとってもどうでも良いものな気がしてならない。
デタラメな歌を歌いながら車でビルディングにつっこむように軽卒で、ベルセルクのジュードの最後のようにしおらしく、PCのゴミ箱に集積した何も起こっていないシークエンスが淡々と自動再生されるかのように平坦に。

死ぬ間際というなかなかのTPO、それにそぐわない、どうでもいい映像。
そう、僕は音楽とか映画とかをちゃんと系統立てて集めたり鑑賞したりする習慣が無い。期待した特別な物や瞬間に巡り会おうと思う気持ちがそもそも欠損している。多分。
だからなおさら、きっと僕が死ぬ時は、お気に入りの音楽とかが頭に流れるわけでもなく、好きな映画のシーンがよみがえるわけでもなく、好きな絵の少女と見つめあうわけでもなく、僕が系統立てずに選んでいる、いや、選んでさえいない音楽や映画のように、「別に今じゃなくてもいいだろうに、おいおい、空気読んでくれよ。これ、マジで最後なんですけど。」というような場違いな走馬灯が走り去り、照れ隠しに下手くそに笑って死んで行くのだろうな、なんて予想を立てている。

その瞬間を思い描いてみた。うん、思ったより悪くない。僕にとってはなかなか良い感じの最後だと思う。



いつも、1日に2回か3回、いや、本当は忘れてるだけで、それ以上かもしれない。きっと「あれ?なんでこんな事思い出したんだっけ?そもそもなんでこんな事が頭に出てきたんだっけ?」って事、あるんじゃないかと思う。
これが僕には結構ある。ちゃんと他人と比べた事は無いのだが、僕はこの「白昼みる夢なのか、もしくは走馬灯のようなものの飛来」が人より少しだけ多い気がしている。多いであろう理由としては、僕が寝てる間にほとんど夢を見ないことと関係しているのではないかと予想している。そうは言っても、本当は誰しも一回の睡眠で数本の夢を見ているらしいので、正確には、夢を憶える技術がないだけだろうけれど。

当時人気のあった美術家が「夢って大事」みたいな事言ってたからか、夢を覚える技術がない=夢を見られない事にがっかりしていた僕は、「こんな夢を見た」とかいうしょうもないウソをついていた時期もあったけど、本当にちゃんと見た事ある夢は人生でたった一回しかない。14歳。パジャマのままプールに高飛び込みをしてしまったぐらいに汗だくで目覚めたのを憶えている。
校舎の周りを走っている350人の同級生が「熊に追われてる」っていうので、仕方なく一緒に走っていると、その輪が逆回りになったり、ある瞬間に「熊の蜂蜜の壷を盗ったのはお前だろう」と言われて、最終的には350人の同級生と熊に追われるけど、僕は脚が速かったので追われているはずの熊に追いついてしまう。でも輪になっているので、 抜かすわけにもいかない・・・というような夢だった(これはこれで長くなってしまうので、この夢の細部はまたの機会に譲る事にします)。

夢を見る事自体は脳にとってしかるべき役割があるはず。思考のバグとか堆積物をそこで処理したり、ギャップを補正したり、というような。そう考えると、夢を見ないという事は、その処理がちゃんと為されていないという事でもあって、日中の起きている時間に今のところ誰にも迷惑かけない程度に影響をきたしているのではないか、だから変なかけらが頭に飛来してくるんじゃないか、と不安になる。

起きているのに見ている夢、生きているのに視る走馬灯。

*

シリ・ハストヴェットが柴田元幸の本、ナインインタビューズで「小説を書くという事は、まだ起こっていない事を思い出すようなものだ」と言っていた。しかし、「突然飛来する走馬灯」は、思い出そうともしていないのに訪れてくる。レジ前で財布をのぞいた瞬間や、対向車のカップルが喧嘩しているのを見かけた時なんかに脈絡なく飛んでくるので、準備ができるはずもなく、常に腰を落として臨戦態勢でもとっていないと、一瞬で通り過ぎるため捕まえられない。
厄介な事に、運良くメモできる環境に居る時でさえも、メモ用紙を開いた瞬間とか、ボールペンを握った瞬間とか、iPhoneを手に取った瞬間に、皮膚の表面から物の表面をつたってどこかに溶け出し、この広い世界のどこかに吸収されてしまう。どうやら走馬灯ってやつは、物質に溶け出しやすいようだ。

とにかく、なんの脈絡もなく脳に飛来し、それをキャッチしきれた(だろう)ものをメモしていくことにした。僕はもう十分に中年と呼べる年齢になっているけれど、具体的な自分の死に向き合うのはまだ先と仮定して、擬似的な死に際かのように訪れる白昼の走馬灯をつかまえては並べてみようとおもう。
もし、途中で読んでいる意味を見失いそうになったら、その文章が人生の一番最後、死に際に飛来してきたイメージだったらと想像し「いや、別にこれじゃなくてもねぇ」と心の中で口ずさんでくれれば雰囲気が出るんじゃないかなって思う。

マルセル・デュシャンという偉いアーティストの墓には「死ぬのはいつも他人ばかり」と銘うってある。
これは僕の、その銘文に対する尊敬と苛立ち込めたささやかな返答でもある。

他人ではない、他ならぬ自分の死にぎわを祝福する練習として。



「生きているのに走馬灯」

・ 妻が高校生の頃、理系だったこともありクラスの女子は少なく、その中でも眉毛ゲジゲジ女子のトベちゃんに「眉毛ととのえたら?」と言ったけど、あまり良い 反応をしてもらえなかった。でも、トベちゃんは数日後に少しだけ眉毛を整えて来た。それを「かわいくなったね」と言ったけど、「別に・・・」という感じ で、あまり反応がなかった。
とべちゃんの眉毛は、その後少しずつ細くなっていって線のようになった。

・母が食卓で唐突に言った「首だけはね、歳をかくせないのよ」

・小さい頃デパートのインフォメーションセンターに行き、泣きながら「お父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟が迷子になった」と言ったら大人が全員楽しそうに笑っていて、その感じが怖くて泣き止んだ。

・とある海外の土地について話していて「20歳の時に行った」と言うべき所を、「20年前に行った」と言ってしまい、あわてて「20歳の時です。〜年前ではなくて〜歳のほうね」と、訂正したが、実は当時40歳の僕にはどちらも同じだった。

・友人の美術家がバットから割り箸を彫刻刀で削り出す作品を作っていた。
「もっと高価な木でやりたい」と、良いバットを買ったら中が空洞で、「バットの中には割り箸はない」と言った。

・タイガージェットシンがよく尖ったサーベルの反対側の柄で敵を殴り、血まみれにしている。

・ 高校の全校生の朝礼の時に、話があまり得意じゃない体育の先生がその週の話の当番になり、少し緊張しながら話し始めた。「えー、僕の住んでいる家にゴキブリがよく出るんだけど、それがまたすごく大きくて強い。ゴキブリって強いんだぞ。スプレーかけても死なないし、家型の粘着シートの上も通過するぐらい。昨日、そんなゴキブリが台所のシンクに居たので、とっさに食器用洗剤をかけたら、一瞬で動きが止まって、すぐに絶命したんだ。・・・だから、食器用洗剤の泡、ちゃんと流した方がいいからな。」

・小名浜二中の応援のかけ声が「オナニー」って言うのかな?と、友人に繰り返し聞かれている。

・we are the world のドキュメンタリービデオ。夜中のスーパースター達。ハリー・ベラフォンテのバナナボートをその場で即興で、みんなで明るくやってる。チャリティーって概念自体が日本にあんまり無かった時代だったので、その卓越した感じと余裕がすごいなあって思ったし、だからこそ少し怖くも見えた。でも、もっと怖かったのは皆の屈託のない笑顔だった。思い出した。英語の授業が苦手だったんじゃなくて、英語の先生の高すぎるテンションが苦手だったんだ。

・パープルレインをカラオケで絶叫していた素敵な人が亡くなって数年、プリンスも今日亡くなった。

・忍者ハットリくんが刀で大根を見事に、空中で綺麗に薄く均等にスライスした。
シンイチのママ:「ハットリくん、大根は厚く剥いて厚く切った方が美味しいのよ」


・ 頭に水引、胸ポケットには花をあしらい、正装で参加していた大学院の修了証書授与式パーティが終わりかけた頃、彼女(今の嫁)の身内の不幸の知らせがあった。翌日に彼女がアムステルダムに来るという話だったので、来るか来ないか、チケットキャンセルの事など、緊急の調整が発生し、パーティーを抜け出し、急いでトラムに乗って家に向かった。
焦って降りたところで、修了証書をトラムに置きっぱなしにした事に気がついた。しょうがないので、彼女にとりあえずの対応策を連絡し、 最終だったトラムが引き返すであろう車庫に向かって走り出した。数分後、運河の手前で、車庫に戻る誰も乗っていないトラムが来た。僕の乗っていた最終トラムだ。
前に立ちはだかり、事情を説明しようとしたらプシューっとドアが開いた。
証書の両端を両手で持ち、背筋を伸ばし、口を開けずに笑っている車掌が立っていた。

・所ジョージは子供の頃、「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで、壊れて消えた」という子どもが亡くなった悲しい歌を、「シャボン玉が飛んだ、屋根も一緒に飛んだ、屋根も一緒に飛んで、壊れて消えてしまった」という勢いのある破壊的な歌だと思っていた。

・友人が内容を知らない渋谷のデモに飛び入りして「とりあえず、はんたーい」と叫んだら、みんな気まずい顔になり、デモが静かになった。

・渓流魚の手づかみは4歳の時に親父に教わった。父は、幅2mもない小さな山奥の渓流を、目を細めて眺めたかと思うと、そっと入って行って、岩の下に手を入れ、しばらくじっとしていたかと思うと肩甲骨を一瞬だけ動かし、体側にピンクの斑点がある綺麗な魚をゆっくりと岩の下から取り出した。マジシャンだと思った。

・ ジョギング中に偶然三匹もキツツキに出会った。
中に虫が居るのか、巣を作っているのか、早送りした木琴のような軽快な音が林に響きわたる。
しばらく進み、 前の音が聞こえなくなったあたりで、また違う方からその音は聞こえて来た。
かなり大きい音なので近づいて行くとさっきと同じように枯れ木があり、 そこに同じ種類の赤いベレー帽をかぶった様な、割と典型的な姿形のキツツキがいた。一日 に二匹もキツツキに出会うなんてめずらしい。それに、他の通行人、全然気にする様子も、気づくそぶりもなかった。この辺では当たり前なのかな?なんて思い ながら、二匹目のキツツキの音が遠ざかったあたりで、進行方向から大きな音が聞こえてきた。これはあきらかに目線のあたりで音が鳴ってる。近づいて行くと 皮がむけた太い枯れ木があり、まさに目線ぐらいにキツツキが居て、大きな音をたてている。不思議なのは、やはり時折通る通行人はその音にまったく気づくそぶりがない。ひょっとして、僕にしか聞き取れない音域なのだろうか?やはりこのキツツキも、とにかく一生懸命で、僕がかなり近づいても逃げようとしない。 何をしてるんだろう?このスピードと力で固い木をつついて、頭痛とかしないもんかな、なんてじっくり観察し、ついでに携帯で動画もとった。近くだったので 思ったよりきれいに撮れた。そしてその場を立ち去ろうとした。
でも、ちょっと思い立って三歩もどって、さっきと 同じ場所に立ち、今撮っていた映像の音声をキツツキに聞かせてみた。すると、どんなに近づいて観察しても飛び立たなかったキツツキは、自分が発した、木をつつく美しい音を聞いた瞬間に真上に飛び立ち、そのまま見えなくなるまで飛んで行った。

・大学生とのとき家で朝まで友人と呑んでいたらどうやら通報されたみたいで警察がきた。「アパートの鍵が長い事壊れてて開けられないんです。この二年間いつも窓から入っているんです」と何度言っても信じてもらえず「いいから開けなさい」と言われた。

・「慣れってやっぱりあって、なんていうか、全ての日本のポテトチップスから出汁の匂いがするって事、日本だと感じなくなるよね」

・ドイツの警察、ポリツァイ。安ビール、オッティンガーの色合いときわめて似ている。

・ 長身の友人の弟はもっと大きくて、いい感じのアホな子だったようだ。身体がデカいその兄弟の小さい頃の遊びは、蛇玉(蛇がたくさん一カ所にかたまっているらしい、本当かどうかは知らないが)を投げつけ合ったり、他人の家の石垣を崩したりだったらしい。色々な人から心配されていた弟も、高校を卒業後、無事に自衛隊の事務方として立派に就職した。ある時、弟の職場に行く機会があり、忙しそうな机の並ぶ日当りのいい雑然とした事務所の中、弟の机の一番上の引き出しを開けたら、何もない引き出しに、爆竹が一箱だけ入っていたそうだ。

・ 小学校の時、親友の武藤くんと一緒に武藤くん宅でグーグーガンモのキャラクターをお絵かきしていたら、爆音の日章旗ヤンキー車が家の前に止まり、おりてきたのは有名な暴走族の総長で武藤くんのお兄ちゃん。ココアをいれてくれた。とっても甘くて美味しかった。口内の上部をやけどした。

・ そういえば若い友人のアパートは畳なのに土足だった。別れた彼女に赤いペンキを部屋中に撒かれてから、どうでも良くなったと言っていた。赤いペンキを撒かれた事よりも、自分にもかけられたそのペンキがお湯で溶かれていて(お湯で溶いた方が綺麗に溶けるので)、そのぬるさと、その冷静さの方が怖かったと言っていた。

・「99%は100%じゃない」(ドキュメンタリー映画Waste Landでの老人のひと言)。

・作品搬入中、繊細な彫刻家の友人は、椅子のような構造をした木製の作品のガタツキが気になりはじめ、悩んだあげくコンビニで買って来た「干し柿」2つを、作品と床の間に挟んだ。

・ アムステルダムで展示設営中、デュッセルドルフに住む友人がちょうどアムスに来るというので展示を手伝ってもらった。 展覧会が無事にオープンし、彼は帰宅する為にアムステルダム中央駅に向かい、その途中、画材屋さんで絵の具を見ていたそうだ。すると、優しそうで陽気なおじさんが声をかけてきて、「僕は近くにアトリエがあって絵を描いているんだ。遊びにくるかい?」と、言われたので、電車の出発まで2時間もあったので、行く事にした。たしかに アトリエだった。「どうせなら一緒に何か描くかい?」と言われ、どうせならと描き始めたらしい。すると「今日はとても暑いね」とおじさんは素っ裸になった。これはマズいと思ったが、変に動揺すると余計にマズいと思ったので、出されたお酒を飲み干してすぐに帰ろうと思ったら、飲み干した瞬間から身体に力が入らなくなった。それでも、荷物をひったくるようにして部屋を飛び出し、階段の手すりにぶら下がりながら表の通りまで出た。目をあけられないぐらい運河が眩しくキラキラしていた。

・彫刻家の友人は、インスタントの袋ラーメンを、一年以上かけて精密に木彫で仕上げていた。ある日「あぁ!」と短く叫ぶと「3分でできるものを、そっくりつくるのに1年かける意味が、とうとうわからなくなった!」と、はっきり話し、お湯を沸かし、ほぼ出来上がったその彫刻を煮始めた。

・ないがしろ→いなわしろ→猪苗代湖→ないがしろ湖

・ 植木屋をやめて違う仕事をはじめた。僕はもともと植物が好きで、さらに植木屋の親方と仕事内容がとても好きだったので、たまに植木屋が恋しくなり、ある公園の木の上でちょくちょくお酒を飲んでいた。植木の仕事を思い出しながら樹の上に落ち着ける場所を探す。風が吹いていて気持ちいいし蚊も来ないので快適だった。

・ラジオ放送室より 松本:病原菌が勢力を拡大するための生命のプログラミングとして、性病になると性欲上がるんだって。

・映画、ナイトオンジアースより ヘルムートとヨーヨーのやりとり:「お金は重要ではないけど必要だ」。
必要と重要は似ているけど違う。芸術はその逆か。

・林檎の彫刻を作るとき下地を18回塗る事について。「ええ、表面何ミクロンしか興味が無いんですよ」と、少し悪そうに話すようにしている。

・「あんよがじょーず、あんよがじょーず」と同じ感じで「すまたがじょーず、すまたがじょーず」と言う。

・利根川と江戸川を結ぶ直径3メートルの二本のパイプ。三菱だか住友だか忘れたが、それぞれ違う会社が作っている。それらは総長何十キロもあって、水量の調整に使われる。そのパイプの中に水を通す実験のため、そのパイプを眺めるバイトをした。地下室に二本の巨大パイプと自分。
見た目ではわからないが、いざ水を通すと、ウォーターハンマー現象という名の、変圧によりパイプの中を大勢の人がハンマーで壁を叩きながら移動するような音がする。まぁ、端的に言って恐ろしい。
「なにか異常があったらそこのインタフォンで知らせて」って言うけどな、「なにが正常でなにが異常か、こっちにはわからんぞ。そもそもこんなもん、なにかあった瞬間にアウトだろ。」って思ったがバイト代が欲しかったので言わなかった。

・大きな2本のパイプを眺める仕事。中間竪坑(ちゅうかんたてこう)という、50メートルぐらいある深い穴がある。一度だけ、現場監督と下請けの社長が全身ずぶ濡れになって、鳥かごにカナリアを入れ、顔面蒼白でそこに向かって走って行くのを見た。

・樹の上で一人で呑むのが流行っていたのだが、ある時「たまにあの公園の木の上に幽霊がいるらしく、実際に見た人もいる」と大きな噂になっていると、友人づてに聞かされた。それが僕だって思うとおかしくてたまらなかった。しかし、ある日ふと、それがもし僕じゃないとすると、と思って怖くなってやめた。

・ 大分に向かう飛行機で、気がついたら僕の席のまわりはゴツい体格の人に囲まれていた。背丈は僕の方があるのだが、どうやらプロレスラーの一団らしい。あ、 斜め前の席にいるのは大仁田だ。そう言われてみれば、髪の毛が金髪だったり、虹色だったり、モヒカンだったりと、ゴツい+奇妙な髪型の一団は誰から見ても他の一般客とは雰囲気が違った。飛行機は一時間ぐらいで大分空港に着き、出口に向かう通路で、大仁田の存在に気づいたファンの人 から「写真撮ってください」とお願いされていた。
「レスラーの皆さんも是非ごいっしょに」と、一般のお客さんとその一団を区切る「パーにした手」の、レスラー側に僕も入れられていた。

・ 大学生の時、駅前で「××× フルーツ」という新作のお菓子の試供品を配るバイト、正確にはそれをお姉さん達に配ってもらうバイトをした。朝が早いため、前日夜中に倉庫から車に積み込んで翌早朝現場に直行するのが普通なのだが、ノルマを減らすため、夜のうちに何割かはスタジオにおろし、次の朝に平気な顔して何割か減ったそのノルマを配ってもらう事にしていた。結果的に家やスタジオがそのお菓子のサンプルだらけになってしまった。食べきれないし、保存も効くようなものだったので東京近郊の美大に配ってまわった。昔はまだ貧乏な学生が居たので、すごくありがたがられた。さらに翌年の学園祭で「フルーツ乾パン」という名前で安価で売られているのを見つけた。

・「現代美術が嫌いだけど印象派は好きって人、きっと印象派の出てきた時代には印象派は嫌いって言ってたんだろうな。印象派も当時は現代だったのに」

・水門を眺める仕事で一緒だった、川崎から来ている吉澤さんは前歯がなくて、眉のキリッとした昔の映画スターみたいな顔をしている。今は歯がないので想像しにくいがきっと昔は美少年だったんじゃないだろうか。
ひとつの水門が上がって下がるまで2時間ぐらいかかるし、それがいくつもあるし、水門が閉まるといろんな魚が焦って遡上して来たり、それを拾ったりと、かなり不思議な仕事だった。
前歯の無い人共通の特徴だけど、吉澤さんも例外ではなく、笑うと笑顔がかわいかった。そしていつもビックリするぐらいお金を全然持ってなかった。 ある日、若い親方と僕たちを飲みに連れて行ってくれるとなって、「珍しい」なんて思っていると、吉澤さんは真っ先に酔っぱらってしまった。しばらく呑んでいたが、明日も早いし解散しようとなり、レジの前に。おごってくれるといった吉澤さんは何の淀みもなく流れるようにポケットからビスケットを出した。

・当時からバンドのボーカルをやっていた高校の同級生の事が嫌いだった。言いたい事を言うタイプだったのですぐに他の奴と喧嘩になった。特に喧嘩が強いわけではなかったが、先に手を出さないので、いつも停学になるのは相手の方。そのズルさが嫌いに拍車をかけた。停学になった相手とは対照的に普通に通学して相手を小馬鹿にしたような事を言うので、あまり近寄らないようにしていた。一度、友人同士の「お手打ち」みたいな場面でもめ事になり、教室に他の人を残して廊下に出て、そこであやうく喧嘩になるところだった。結局そこでは思いとどまって喧嘩にならずに、停学にならずに済んだのだけれど、そのままイケ好かない奴って言う印象のままで嫌いだった。でもある時、帰宅方面が一緒だったし共通の友人も多かったので一緒の一団の両端で帰宅していると、間違えて二人っきりになってしまった。 もちろんお互い気まずさが続いた。そしてとうとう彼の方から話しかけて来た。既に美術を始めていた僕に向かって、 美術ぐらい俺もたしなんでるぜっ、て言いたかったのかわからないけど「俺さ、シャガールが好きなんだよね」って言って来て、それ以来、まぁ、根は悪くない奴なんだな、と、思っている。

・水戸市の五軒小学校というところでサッカーの練習をしていた。そのうち、それが取り壊されて美術館になった。毎月送られてくる市民の会報では、それに反対する記事が沢山あった。

・ 植木屋でバイトしているとき「おじさん」というポジションの人達がいた。みんな決まって前歯が無く、笑顔がキュートだった。その、俗世離れした感じとか、善悪関係なく生死があまりに身近にあること、聞きようによっては世界の真理を話し合う神々の会話のようにも聞こえた。後の世に星座になるべき人々というとこで、彼等のことを心の中で「星になる人」と名付けた。

・同級生のバンドマン、高校三年の時に見に行った以来ライブに行ってないし、その当時もほとんどの曲に何も感じなかったんだけど、僕が高校の国語の教科書で好きだった主人公が虎になってしまう物語「山月記」をテーマにした曲だけはとても良かったし、未だに冒頭を歌うことができる。

・無遅刻無欠勤の「おじさん」の一人もまた、完全に「星になる人」の資質を発揮していたが、彼に限っては前歯が健在だった。前歯がないのが正解なはずなのになぁ。僕の「星になる人レーダー」はまだまだ完璧じゃないらしいと思った。
ある日彼は急に欠勤した。おかしいと思って、他の「星になる人」に尋ねたら、どうやら彼は入れ歯だったらしく、その入れ歯を、飼っているイヌにかじられたようだ。
数日後、入れ歯を新調し何食わぬ顔で出勤してきた彼は、また一週間もたたずに欠勤した。どうやら今度は飼いネコに入れ歯をかじられたようだ。他の「星になる人」 達は、一切ふざける事も茶化す事もなく、「先週は肉を食べたから犬にかじられ、
今週は魚を食べたから猫にかじられたんだろうな」「それだな」「うん、そうに違いない」 と、かなりシリアスに話し合っていた。
その姿はまさに「人類の行く先」を天上から決めている神々のように客観的で利他的で超越的だった。

・中学生の時、クラス全員申し合わせて、50m走のスタート地点を、少しずつ、少しずつゴールの方に近づけ、二本目の開始には5mぐらい短くした。
50mのうちの5mだから約一割削減だ。ゴールでタイムを計っている先生からは気づくはずもない。二本目、クラス全員の記録が少しずつ底上げされ、熱心な先生も、熱心じゃない僕らもみんながハッピーで、とてもいい眩しい午後だった。

・山梨のモモブドウ園の祖母の家から五分ほど坂を下って少し上がったぶどう畑で鏃(やじり)がとれる。黒曜石でできているので黒くて尖った完成度の高い物は博物館にあるものと遜色ない。両隣の畑からはとれない。

・オランダは海抜よりも低い、元々干潟だった場所を埋め立てて作った場所が多い。「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と黄色いガイドブックに書いてある。

・オランダで一年間一緒に住んでいたスリナム人のトゥリモ(アリスター・オーフレイム似)が嬉しそうに帰って来て、「これ、日本語か?」と、電子辞書を見せて来た。「いや、韓国語だよ。どこで拾ったの?」というと、「教室で。これってさぁ、高く売れるかなぁ?」と上機嫌だ。無くした韓国人の留学生が困っている事なんて彼も知っている筈だが、経済状況だけを考えると明らかにもっと困っている彼は全く意に介した様子はない。僕はなんて言ったら正解だったんだろう。

・「闘いは長かったが勝利は確実だ」(ドキュメンタリー映画Waste Landでの老人のひと言)。

・ 学生時代、酔っぱらうと遠山の金さんの劇をベロベロでやっていたせいか、未だに、お酒を飲み過ぎると「おうおうおうこわっぱ、黙って聞いてりゃピーチク パーチク、まさか、うぬら、この背中に咲いたお目付桜夜桜を、見忘れたとはぁーーーー言わせねえぞ!」というセリフがスラスラと頭の中を流れる。

・ 九州で、泊めてもらえる事になったお寺さんは本当に素敵な人達ばかりだった。おかみさんは明るくてお話し好きの人だった。建物も綺麗で風情があり、母屋と僕たちが寝泊まりする「離れ」と母屋の間にはよく実のなる柿の木がある。熟した柿が沢山落ちていて、たまに小鳥が来てついばんだりしている。「こんな風に夕方にはたくさん落ちているけど、夜にはイタチが来てぜーんぶ持ってっちゃって綺麗になるのよ」と、おかみさんは朗らかに説明してくれた。
翌朝、鳥の鳴き声で早朝に目が覚めた。夏の肌寒い朝。霧のかかった外を見ると、そこに居候している小柄で日焼けした「やまちゃん先輩」が落ちた柿を1つずつトングで拾い集めていた。

・ 僕の中学校はぐるっとまわれる三角形の敷地をしていて、やんちゃな人が改造したバイクで3周まわると先生が飛び出し、5周すると警察が来るというルールだったのだが、8周したら妖精、15週でドラキュラ、30周でドラゴン、50周でサタンとか出て来ないかなあとドキドキして見ていた。暇だった。

・いくら多くの領土を失ったからって、ジョン失地王って名付けひどい。John the Lackland (1167-1216)。

・「これあると良いよ。かわいそうだからね」と言った現場監督が持っていた毒ガス探知機の名前が「カナリアくん」だった。

・星になる人の一人が「人や動物だけじゃない、植物も人の事を認識してるのは間違いない」と話し出した。
彼の家は竹やぶ跡にあり、毎年タケノコが出て来て畳を持ち上げるらしい。「じゃあ、見張っていたら出て来ないだろう」という事で春のぽかぽかした休日に、1日中その部屋を隣の部屋からあぐらをかいて睨みつけていたらしい。夕方になるまで結局その部屋にはタケノコは生えず、「やっぱりそうか」となったが、その代わりに見張り続ける彼の背後では今までにないぐらいの大きなタケノコが畳を持ち上げていたらしい。

・僕が飼っていた捨て犬(その名もポイ)は、とても元気な犬で、小さい犬なのに22歳まで生きた。身体がとにかく丈夫だった。
小さい頃、一カ所に縛っているのが可哀想だと、少しだけ動かせる三輪車の小さいタイヤに括り付けておいて、庭に離していた。しばらくするとパワーがついて、 そのタイヤが簡単に動かせるようになった。なので今度は軽自動車、普通自動車、トラックのタイヤ、ダンプのタイヤと段階的に大きくした。が、結局、その大きなタイヤも動かせるようになり、庭から頻繁に脱走し、根性モノのスポーツ漫画ばりの、大きな古タイヤを付けて引きずって走る柴犬ぐらいの大きさの犬が、けたたましい音とともに住宅街を疾走した。それ以来、何かを伸ばそうとした時には「段階的に負荷をかけていくのが一番良いに決まっている」と信じている。

・九州滞在の一ヶ月間も超え、環境の良いそのお寺に泊めてもらえる「ロングステイ」になりつつある「ホームステイ」に感謝したが、やまちゃん先輩は今年で「ステイ」を始めて8年目になるらしい。

・ おかみさんが台所で話してくれたのだが、やまちゃん先輩は、ホームレスになり、どこかの峠の東屋でもう一人の仲間に連れられて暮らしていたが、その人が急に亡くなってしまい、途方にくれていた所に若い活発なホームレスの人が来て、一緒に下山し、二人でこの寺に辿り着いたらしい。そして、その若い人はコミニュケーション能力も高く、率先してお寺の手伝いをしていたが、来て半年ぐらいでその台所で突然死してしまい、結果的に無口なやまちゃん先輩が一人で「ロングステイ」しているという事らしい。

・少し荒れ気味だった友人の群馬の高校では、オートバイに関して「乗らない」「買わない」「近付かない」「考えない」という標語があったらしいが、「考えない」は無理じゃないのか?

・星になる人が車座になり、ある一人のホームレスの人の話をしている。
彼は川の土手の下に住んでいて、土手の上の道路から斜面に滑り落とされた不法投棄の電化製品を、斜面の一番下で、それらを立てては50 円ぐらいで売っていた。たまに立っているけど値段が付いていないものがあり、なぜかを聞くと「倒れているものを僕が立てる事で売り物になるんですよ。言わば『立てる代』です。もともと立っているものに僕の取り分はないんですよ。」とのことらしい。星になる人の一人が、面白いと思って彼を雇ったそうな。真面目な男だったので一生懸命働いていたようだが「ガソリンかけられて殺されちまったんだ」そうだ。

・桂枝雀の落語のショートショート、「おじさん、えらい深い大きな穴ですね。何をしているのです?」「いやね、だれかが、ここにえらい深い穴があると言っていたので、それを探しているんだけど見つからないんだよ。」

・ その、ほぼ球形の石は近くの河原で拾った。ちょうど芯みたいな窪みと出っ張りが付いていて、僕はそれを「リンゴの化石」と呼んでいた。その「リンゴの化石」は石蹴りしながら帰る子どもには、気持ち良くまん丸で、夢のようなテクスチャーだった。なんていうか、少しだけ粘土質な感じのグレーな石で、真球に近いのに暖かみがある形。よく転がり、よくコントロールが利き、ごろごろごろごろと心地よい低音がした。行きも帰りも蹴って帰った。特に帰りの緩く長い下り坂では抑えの利いたよい転がりをみせた。坂の上から最後まで塀に当たらずに転がりきると、うれしくて世界がキラキラして見えた。あまり固くない材質の石 は蹴れば蹴る程さらに真球に近づいていった。
ある日の帰り、調子に乗って蹴りすぎて壁に思いっきりぶつかり、割れた。中に巻貝の化石が入っていた。

・美術予備校の先輩、「×××とよたか」という人が居て、誰とも喋らないのだけれど、急におならをするので、トヨタカップと呼ばれている。

・ 物心ついてからのほぼ唯一の趣味らしい趣味、渓流魚の「ヤマメの手づかみ」は川幅が自分の身長よりも狭い源流でやる。夏でも氷水のように水が冷たい。最初は冷たく、そのうち骨が痛くなり、痺れてきて、最後には無感覚になる。これは実質的に大事な儀式で、痛みの後の無感覚は痛覚の麻痺とともに、渓流と魚と僕の温度の一致を意味する。もともと僕らの体温で渓流魚に触るというのは、僕らが熱したフライパンで触られているような温度差があるようなので、その、温度を均一化する事はとても大切だし、そうすると、魚に気づかれず魚を水から取り出す事も可能になる。人が水になる技術。

・ラジオ放送室より 松本:「僕はね、魂でしゃべってるから喉をとばしたりしない。怒ってるから声がデカくなってるだけで、怒ってる事を表そうと声をデカくしてる人は喉をとばすんや」

・ 「右利きだが左手で投げられる」それをみんなに自慢したくて、思いっきり投げた。見えなくなるまで飛んだと思ったらリリースポイントを間違ったようで「見せてほしい」と言ってきた目の前の竹内くんに知らずに当たっていて、振り向き様に殴られた。石が当たった彼に比べたら痛みは大した事ではないのだけれど、わざとじゃないのに暴力で返され、ショックだった。

・河に迷い込んだアザラシを観に来た見物客にテレビ中継。近所の幼稚園生がお母さん達に促されて。いっせーのせっ「たーまちゃーん」って言わされてる子供のやる気のなさと子供らしからぬ声の低さ。

・ 1つ下の学年のガタイのデカいボクシング部のやつに同学年の友達が何人もやられてるってのを聞いて、「どんなやつなんだろう」と興味半分で友人と見に行ったら事の成り行きで喧嘩する事になってしまった。あまりに恐ろしくて(でもそんな事を言える筈もなく)先制攻撃をしたら、顔面全体から血を吹き出しながら、フットワークを使い出し、ジャブを出してきた。そんなものが素人にかわせる筈もなく、一生懸命逃げ回っていたが、右のまぶたを擦っただけでまぶたがパックリ割れた。僕は 「もっとこいよ」的な事を言ってたが、心の中ではもちろん「誰か、ほどよい時にほどよい理由でとめてー」とばかり思っていた。願いが通じたのか、ちょうど 誰かが先生を呼んだらしく、大量の先生が止めに入った。当然、先生に止められてるのがわかってからの方が僕は威勢が良かった。そして、別々に五人ぐらいの先生に抑えられながら職員室に向かう。山の斜面にある校内の、長い外階段にさしかかった時に、五人の先生を振りほどきながら血まみれの大柄なボクサーが大声を出しながら階段をかけあがってきた。まあ、どうみても怪物にしか見えなかった。僕は正直、本当に殺されると思って、本能的に「悪いけど殺されるよりは死んでほしい」と思い、先生を冷静に振り払い、長い階段の上から彼をおもいっきり蹴り落とした。映画みたいに転げ落ちた。結局、彼はそれでもどうにもならないぐらい頑丈だったので、また起きあがり、さらに多くの血を出し、CGで雑に作ったぐらいの血だるまになり、再び雄叫びを上げながら駆け上がり、さっきまでの倍の数の先生達に取り押さえられた。本当に殺されなくて良かったし、彼が死ななくて良かった。運がよかった。

・ある雨の夜、友人が、美大で噂のおかしな先輩の軽トラに乗ったら、ウィンカーの、カッチカッチカッチカッチと いう音に合わせて「ち○こ、ま○こ、ち○こ、ま○こ、みーなおーなじー」という、極めて偏った世界平和みたいな歌を小声で歌っていたが、友人は始めての事だったのでなんと言っていいかわからなかったので結果的に無視した形になった。

・地元の心霊スポット、首切り地蔵へ肝試しへ。女の子と行った時はまあまあ怖かったがそうでもなかった。男同士で再度行った時にものすごい怖かった。その時に、僕の大部分は異性に対する見栄で形成されてるんだと実感した。今はどうなんだろう。

・桂枝雀の落語、猫の忠信:
えぇ、ロクさんの浄瑠璃には色があるってお師匠さんおっしゃってますよ。五色の色があるってね。
「しろうとのくせして、くろうとぶって、真っ赤な顔して、黄色い声だして、前からやめとけと言われて真っ青になる」

・ニーチェの「善悪の彼岸」は、今となっては居酒屋の小便器の目線に貼ってある「親父の小言100」みたいなものと大きく変らない気がしてしまうけれど、この一節は本当に良くできている。
「怪物と闘うときは気をつけなければならない。君が深淵を覗くと、今度は深淵が君を覗き返してくる」
うん。何回か「そう、そう言ってくれて助かった」と思ったけど、何回かは「今言わないでよ」と思った。

・普段は「人間だもの」的な物言いにはなんとも思わないけれど、一度だけ撃ち抜かれたような気分になった。年明けに展覧会が2つひかえていたので制作しなければならなかったが、植木の親方に誘われて「じゃあ、一杯だけ」と、忘年会に出席し、おいしいご飯とお酒にいい気分まで酔っぱらってしまった時にトイレに貼ってあった「やれなかったのか、やらなかったのか」というカレンダー。

・九州のお寺さんにロングステイしている「やまちゃん先輩」は普段全くしゃべらないけれど、たまに話し出すとボリュームのツマミが振り切れているどころかツマミ自体が外れてしまっているようで、目の前でしゃべっているのに、怒鳴るぐらいの音量でしゃべってくる。

・ホームステイも終盤にかかった日の早朝「えっちゃん」という、顔の内容と皮膚の色が「やまちゃん先輩」と完全に同じ女性が、藪の中から大量のアケビを持って現れた。

・初恋を思い出すメソッド:
すごく真面目な事務的な仕事の電話している時に電話のこっちでズボンとパンツを音を立てずにそっと脱ぐ。それだけ。他は何もしない。

・ 大学生の頃、新しくできる水族館の壁に絵を描くバイトの為、二ヶ月ぐらい韓国のソウルに行った。そのとき先行して行っていた人からコンプレッサーの予備タンクを持って来てほしいと言われた。長細い頑丈な鉄製タンクを2つ並べて、電源コードやホースなどをその周りに配置し、正方形の段ボールでパッキングすると、そう、どう見てもティピカルな、ザ・爆弾、だった。案の定、韓国の空港で呼び出され、狭い部屋で警察に囲まれ、説明させられた。だろうね、って思った。皆、少し離れたところで半円状に立っていた。
でも問題ない。用心深い僕は念のためメーカーのカタログの白黒コピーをスーツケースに入れてあった。
パッキングした時に「大丈夫大丈夫、臆病だなー、いらないよ、そんなコピーなんて」って明るく言っていたやつの顔を思い出す度「自分の事を本当に心配できるのは自分だけだ」と思う。

・各地の水門の開け閉めのバイトをしているとわかってくるのは、現代では水の出入りはほぼ完全にコントロールされているということ。大雨があっても、都心部で氾濫して都市機能が麻痺するよりも、ということで適度な郊外で氾濫させるようになっている。

・友人の友人のプレハブに行ったら、身長190ぐらい、体重130kgぐらいあるわかりやすい「ワル」がいて、名前を聞いたら「百目鬼(どうめき・本名)」だった。そんな名前と体格でワルくなるとはさては真面目だなと思った。

・高校の国語の先生が言った「みんなみたいな年齢で30代の女性と付き合うと、経済的にも肉体的にも、別れられなくなる。どっぷりハマるから気をつけてね」

・ 大学生の頃、日本の隅々まで車で一般道だけでまわっていた。
石川から富山へ抜ける県境の山奥に熊を食べさせてくれる店があり、スゴく高価なのに僕たち四人にごちそうしてくれた。特に手のひらの刺身は脂がおいしく、山盛りのワサビとの相性は忘れられない。ご主人に「熊は恐くないですか?」と聞いたら、千葉の市川出身のご主人は「怖いのは人間」と、熊にやられた喉から出るガッサガサの声で、抑揚のない早口で話した。

・ 中学生の頃「こんにゃくを使って自慰をすると良い」と友人に聞き、「まじか」と思い、こんにゃくを買いに。「こんにゃく、あたためましょうか?」と、レジのおばさんに言われ、ちょっとびっくりしたまま「はい」とお願いした。百歩譲ってこんにゃくにそんな使い方があることをおばさんが知っているとしても、どうして僕がその用途だって事がわかったんだろう?

・この世界のすぐそばに違う世界があるっていうファンタジーに夢想するのに「おしいれの冒険」って絵本はとても都合が良かったし、開いてる本と、背後の押し入れ、共鳴するように怖かった。

・星になる人の一人は、とても真面目な性格で、市役所の水産課に勤めていた元公務員だった。市の新しい特産品を開発せよとキャビアの親であるチョウザメを育てたが、チョウザメはストレスに弱く、大きい音を聞いたりするだけで尻尾が曲がってしまったりする。そういうわけで、定年までの18年間キャビアは一粒もとれなかった。

・ ほぼ一年中スーパーにフジ林檎があるのが不思議で、スーパーの成果売り場の人にきいてみた。やはり秋にしか収穫できないようだ。それを凍らないぎりぎりの 1℃で保存する。ハウスなどでできる早稲のフジが出回る晩夏まで、それを徐々に流通させる。それでも間に合わない一ヶ月だけ、ジョナゴールドなど、他の品種で補っているそうだ。その一ヶ月はりんご業界にとっての神無月(もしくは神在月)みたいな特別なものと理解した。

・大分で、なんとなく新聞記者にご飯をおごらなかったことをなぜか後悔している。ケチったわけではないのに。

・ 直径3メートルの水道管を眺めるバイトは、その全長が70kmぐらいあり、10km間隔の地下室に一人ずつ置いて行かれる。なので、全員を配置したり回収するだけで片道2時間ぐらいかかる。ただ見ているだけのバイトだが、配置と回収のための4時間以上の残業もつき、高収入だった。回収の車から、そのバイト に来ている僕と同じ立場のバイトの人が見えた。オカリナを吹いていた。前にもあとにもオカリナを吹いている人を日常生活で見たのはその時だけだ。

・ 水道管を眺めるバイトは、1日中眺めているだけで何も起こらないのでとても眠い。なので、ある日から、夜に関東の反対側の神奈川まで帰るのをやめにした。友人と二人でまずは野宿する事にした。そうすると、今度は暇で夜に早く寝てしまい、昼に寝られなくてつらい。今度は夜通し呑む事にした。そうすると昼間よく眠れる。まだ若かったので、しまいには現地でナンパして呑もうという事になり、現地の女の子を誘って呑む事に。ホテルまで行ったのに、女の子がシャワーに入ってる間、どうしても睡眠欲に勝てなくて寝てしまい、起きたらホテルに一人だった。その日は夕方までずっと起きていた。

・僕は、僕の欲望や、いやらしさや、自分の所有物への執着も「肯定」した方法でチャリティというものに関わりたいと思っている。だから、僕は、僕が資本主義経済にのっとって、作品を販売して稼いだお金を生涯とおして10%を寄付するようにしている。2011年から。それとは別に本当の意味での慈愛の精神の発揮しているところは誰にも言うつもりがない。それについて何か人に言ったり、言われたりする必要もないと思っている。うるせーばか。 その代わり、僕がいやらしい計算をし、お金を得た事はどこかの誰かを救う。僕が自己顕示欲で作ったものの結果が誰かが救う。それじゃダメなのだろうか?10%って、10年働いたら1年 まるまるだぞ。100歳まで生きたら10年間の給料って事だぞ。僕はこの話をする時いつもイライラしている。

・それほど気が強くない僕は、人生が十回あったらそのうち九回は誰かの望む通りの人生をしても良いと思っているけど、一回しかないからやりたいようにやらせてほしい。船木が言ってた。

・ようやく辿り着いた山奥のイノシシ料理屋は、谷間の一本道を通って自宅兼お店に辿り着く。道の脇には新鮮な野菜の畑もあり、大根、人参、葱、白菜、と続き、イノシシ牧場には暇そうに寝ている大小のイノシシも見られる。注文して出されたイノシシ鍋には今見て来た全ての素材が入っていた。

・山梨のモモブドウ園の祖母の家を五分程上って行くと、右手のぶどう畑だけ弥生土器がとれる。両隣の畑からはとれない。結構沢山とってしまっても、比重の軽い弥生土器は冬の霜であがってくるので、また次の年には新しいのがとれる。

・厄年なんて信じてはいなかったが、あまりにも体調を崩したりケガをするので、一時帰国した時によく効きそうな真っ黒に赤と金の刺繍で「厄払い」と縫い付けてあるお守りを買って来て、空港で嫁にそれを見せびらかしたが、自宅につく間の電車で失くした。厄力の強さに笑ってしまった。なにかの身代わりになってくれたのだろうか。

・ 一年間一緒に住んでいたイタリア人のディエゴはマキネッタでエスプレッソを煎れるので僕らのフラットは毎朝とても良い薫りがした。僕はそれまでマキネッタを使った事がなかった。ある日、彼は豆を買い忘れたらしく、コーヒーをわけてくれと言ってきた。「もちろん。でも、すぐ出かけなきゃならないから自分でやってもらっていい?」と言って、コーヒー豆と、電動のミルと、ドリップ用の陶器とフィルターを渡したら、「やり方だけ教えてくれない?そのお湯をかける方法、やり方わからないんだ」と言われた。マジか。

・「ジョナゴールド」というリンゴは「ジョナサン」と「ゴールデンデリシャス」というリンゴの掛け合わせでできている。ちなみに同じ両親から「津軽」も作られた。「ジョナサン」は日本では「紅玉(こうぎょく)」という品種。アップル社で有名な「マッキントッシュ」は日本では「旭(あさひ)」という品種。商標登録の関係でスペルが少し違う。「ゴールデンデリシャス」と「デリシャス」を掛け合わせたものは 「世界一」という品種。

・1つ1つのやりとりに説得力あってすごい納得して帰るんだけど、家帰って思い出してみるとなんだったのかわからない。みたいなタイプのさわやかさのある作品の在り方がいい。

・松本:ヒロトが自殺しちゃおうかと思ったらダウンタウンで笑ってしまったそうだ。日曜日よりの使者。そうだ。自分の思ってる事をちゃんとやる事が最大の慈善活動だし、人助けだし、人命救助だ。

・72歳の父はいまだに髪がフサフサで、白髪もほとんどない。小さい頃、アデランスのCMは7:3分けのモデルだったため、「アデランス」とは「髪型」だと思っていて、「僕のお父さんアデランス」と嬉しそうに言ってまわっていた。

・ 10年以上前、イタリアで展覧会をみて、トランジットがてらアムステルダムでコーヒーショップ(カフェじゃない方のやつ)に行ったりし、帰国した成田で「犬が吠えた」らしく、徹底した身体検査を受けた。そして、その旅に持ち歩いていた自分の彫刻「溶けたリンゴ」を開封され「君には世界がこういう風に見えるのかい?」と、半笑いで繰り返し聞かれ、白い地塗り材が何層も塗ってあるためか、何回も何回もスキャンされた。「なんでもいいから素手でさわらないで」とだけ言って好きにさせた。くやしいかな、X-Rayマシーンからコンベアーに乗ってスローモーションで出てくる「溶けたリンゴ」は、どこの展覧会場で見るよりも神々しかった。ドラムの効いたマーチのような、勇ましい音楽まで聞こえてくるかのようだった。

・ 僕の学生時代は、アルコールハラスメントなんて言葉がなかったかわりに、どの飲み会でもアルコールハラスメントだらけだった。というか、飲み会とはアルコールハラスメントそのものの事だった。一気飲みなんて当たり前で、最初は呑んでないやつをみつけて呑ませる為に「しーっ、だれか呑んでないやつがいる・・・・あいつだ」 と、指摘され、呑まされ、潰されるやつが沢山いた。もちろん僕も含めて。そのうち、「だれか呑んでないやつがいる・・・・それは僕です」という自己申告スタイルが流行し、みんな自らバタバタと倒れて行く形式が蔓延した。流行に意味はない。

・しばらく働いていた植木屋の親方の事が僕は大好きだった。半分植物みたいな良い人で、明らかに 存在する位相が違うと感じた。ふくらはぎに蝉がとまって溶けんばかりに鳴いていたし、草刈りしてると親方の後ろにだけ鳥がどんどん飛んできて行列になって よちよちと歩いてついて行く、童話の挿絵のような景色をみたのは一度や二度ではない。

・自分でもお客さんをとって造園をしたり剪定をしたり、植木屋をやっていた。職業としては、基本的に安価な石や岩、樹や草を配置し、その技術を売る。お客さんがお金持ちってことも含めて美術と似ているし、そこに四季や何十年後の時の経過を含めたインスタレーションと考えると、植木屋の方が美術家よりもよっぽどいい職業だと思っていたし、今でも思っている部分が多い。ただ、庭を注文されたら、伝統的だろうが新しかろうがやっぱり「庭」を造らなきゃならない。「美術」では「美術」と決定しているものではなくて(すべり覚悟で)「これが美術?」と問いかけて良い 。それが美術と大きな違いだし、なので植木屋をやめた(本当は作業的には今でも好きなので、一軒だけ管理をしている)。

・アムステルダムを離れる友人達、さよならパーティーの会場。言葉があまり上手ではない僕はサプライズでパフォーマンスをプレゼントする予定だった。誰にも言わずに準備した。会場でマイクを奪ってそのままリーディングからパフォーマンスにする予定だった。せっかくならばと「愛」についてのパフォーマンスで全員泣かしてやる、ぐらいに思って。出だしは 「僕のシャイネスのせいで、君達は、ぼくがどれくらい愛しているかわからないだろう。」「でもね、僕もどれだけ君達を愛しているかわからない。」から始まる ちょっととぼけた、壮大なものだった。

僕はやれなかった。端的に言ってビビってしまったんだろう。自分が設定した大きすぎるテーマに。ようするに そのテーマを扱う実力が不足していた。誰にもその準備を言っていなかったので、僕の計画と断念について誰も知らない。僕以外にはどこにも存在していない悔しさを持ったまま会場を離れ、そのまま家に帰り、気がつくと朝になった。近所の湖畔沿いの森の中にある、誰も来ない、大きな倒木のあるお気に入りの場所に行き、その時に使おうと思っていた原稿を、やけ酒の二日酔いをさます為に用意したミントティに突っ込んで飲み、それを頭に乗せると、それ以外の部分をバリカンで剃り落した。その、「愛についてのパフォーマンスの原稿が入ったミントティの形に生えている髪の毛」を、伸ばし続け、自分の最終作の時に使おうと思った。自分の実力が今はまだ足りてないのなら、ずっと考え続けて、長い長い準備をして備えようと思った。これ以上無いぐらいの正式な「実力不足」と「先送り」だ。
最終作や絶筆の事を、白鳥が死に際に鳴く事になぞって、「スワンソング」と言うらしい。

・はじめてしたキスのシチュエーションを単に全く憶えていない事に、皆に信じられないと責め立てられ、帰って来てからすこし凹んでいる。「いや、相手の名前は覚えてるし」って言っても何も変わらなかった。でも本当は名字しか憶えてない。そっか、みんな憶えてるのか。

・欧州の中で動き回るのには、車よりも電車よりも飛行機がだんぜん安い。頻繁に飛行機に乗る。飛行機に乗る度に持ち歩いている石について聞かれる。毎回、持ち歩いている石のプロジェクトについて、セキュリティーチェックの前で、資料も駆使してプレゼンをしている。

・どっかのお笑い芸人も言ってたけど、小さい頃、マンガをトレースして自分でエロ画を作った。そのせいか、ヘンリーダーガー見ると、罪悪感みたいなのが来るのでヘンリーダーガーの展示を見ているとき僕は変な作り笑いしていると思う。

・僕は一年中パーカーを着ているので、シャツやジャケットを着る機会がほとんどない。でも、ジョン・ケージの死後、学者や住民によってはじめられた、ハルパーシュタットのOrgan2/ASLAPはフォーマルな冗談としての演奏会。去年夫婦で正装して出かけた。

・その、Organ2/ASLAPの話を、お世話になっているアートドキュメンタリストに宛てた手紙に書いた。その手紙が駒沢の彼の家に着き、その手紙を読んでいると、ラジオからちょうどその話題が聞こえて来たらしい。という内容の手紙を今読んでいる。

・大分で新聞記者におごらなかった定食屋がなくなってしまった事で、なおさらその事を思い出す回数が増えてしまった。

・空港のセキュリティーチェック前での「石について」のプレゼン、国によって国民性が出ていると思う。
欧州の中に限っては、オランダとイタリアはとても楽しみ。
「ちょっとこっちに来て、もう少し詳しく聞かせてもらいましょう」
「いや、本当に危ないものではないんですよ」
「いえいえ、それはわかったので、今後その、石を持っている人達がどういう風になっていくと思うかを聞きたいのです」という楽しいやり取りになったりする。
今のところ、今住んでいるベルリンに帰ってくるときの対応が一番楽しくない。

・熊を食べさせてくれた主人は「持ってけよ」と言って、熊の爪をくれた。その熊がどのくらいの体格で、どこで仕留めたか、などの細かい情報とともに。でも僕にはその爪の根元の肉が生なことの方が気になってしまった。

・「初めましてこんばんは。初投稿です!トトロって、毛むくじゃらだし、山とかにいるし、傘小さいので肩とか雨に濡れるだろうし、シャワー浴びてる様子もないので、近づくとクサいでしょうか?」

・バンコクで日本人の現代美術を紹介する大人数のグループショーがあり、それの為に前乗りして現地で制作をしていた。参加者の多くが現地入りしていたし、現地の若いインストーラーたちのモチベーションも高くて、とても良い準備期間だった。とうとう開幕まであと9時間ぐらいとなった前日の夜中、ようやく自分の作業が終わった。10日ぐらいだったが本当に紆余曲折あったし、早々に他のアーティストからもらった風邪の事もあり身体も限界だった。直前入りの友人達と、ようやくおつかれビールとまだ終わってない少数のアーティストの為の夜食を買いに行こうとなった。エレベーターで地上に行こうと待っているとその隣のスペースで、僕と同じ時期に前乗りしたアーティストの場所はいっこうに纏めに入る気配がない。それどころか、パソコンを解体し出している。何しているんだろう?間に合うのかな?それともそのつもりも無いのかな?そんな事を思いながら外に出るとまた違う先輩アーティストが筆を洗っている。彼は会場の外の広場に小屋みたいなものを建てる作品を作っている。彼もまた前乗り組だ。「筆を洗ってるってことは終わったんですね。僕も今終わったところです。おつかれさまでした」「いや、まだまだ終わってないよ。っていうか、まだ降りて来てないからね」降りて来てないって、アイディアの事なのか、インスピレーションの事?啓示みたいな神からのギフト的な物?いや、たとえ今まで無かったとしても、一応展覧会に呼ばれるってことはそれが「あった人達」という設定じゃないのか?僕は、彼等を見て、自分はアーティストにしてはちゃんとしすぎてると思ったけど、それで良いやって思った。

・ 海外に来て、大変じゃなかったですか?ってたまに聞かれるけど田舎もんの僕にとって、20歳で東京に出て来たときの方がドキドキしたし落差があった。今はインターネットもあるし、格安航空券もあるので、海外に行く事は僕が学生時代の九州旅行ぐらいの感じだと思う。引っ越すのだってそのぐらい。関東人にとっての九州移住ぐらい。いや、それ以下か。あと、世界観については、最初にエッチしたときの方が世界は変わった気がしたし、なんなら最初に自慰した時の方が世界は大きく変化した。

・ロバート・スミッソンのランドアートをオランダの田舎に見に行った。そこは採石場で、もう亡くなってしまった土地のオーナーの父親がスミッソンに協力して作ったようだ。家の1つを小さい美術館にし、その土地の管理を息子が引き継いでいる。となりの採石場の事務所で鍵を借りて見る事ができる。

・葉っぱの真ん中に花が咲く植物は日本だとハナイカダとナギイカダが有名。ナギイカダは、鋭く尖った葉っぱの上に花が咲く。あまりに尖っているから、蟻をも通すという意味で別名アリドオシとも言う。
万両、千両、百両、十両、というランク別みたいな名前で、赤い実をつける草があり、庭木としてよく使う。千両と万両とナギイカダを寄せ植えして、「千両万両あり通し(お金がずっとある)」として正月に売っている。

・ガウディは路面電車に轢かれ、身なりがボロかったから治療を優先もされず事故から3日後に亡くなった。

・かまどでちゃんと蒸かした餅米でつくる田舎の餅はとても粘る。小学生の僕が餅をつき、中学生の姉がこねる。姉の手が一瞬遅れたのでかわそうとしたが、同じ方向に逃げてしまい、臼のふちで姉の人差し指を潰してしまった。もちろんそのまま病院へ。いつも口うるさかった姉が痛さゆえか責めなかった。田舎の人はたくましい。血でちょっとピンクがかった餅も、そのまま完成品として他のもちと並べた。

・時間があると薫製を自分でつくる。血抜きし、塩漬けし、塩抜きし、つけ込みし、乾燥し、ようやく燻す。保存食である漬け物を、保存食である干物とし、保存のため燻している。そっか保存食なんだな。

・ 小さい頃は今みたいにいろんな地方の食べ物はなく、大学生の時に行った香川で食べたうどんは関東出身の僕には衝撃的だった。ずっと、うどんと言えばソフト 麺だったので 「今まで食べたうどんはうどんじゃなかったな」と思った。しかし、山梨のスタジオの近くにある、「吉田うどん」は、香川のツルツルシコシコ薫る黄金色のダシ、等の「King of うどん」の条件とはほど遠く、醤油と田舎味噌、湯がいたキャベツ、極端な不均一、生煮えかと思うグニョグニョ、まさに老人の頬を噛んでいるかのような食感。僕にとっては、香川のうどんでうどん論争はとっくに終わっていた筈だったのだが、この、毎回疑問が残る食べ物の方が好きになってしまった。「オルタナティブを愛す」ってやっぱりあるんだなって事をうどんを通して実感したし、疑問の方が正解よりも息が長い事が稀にある。そんなことを再認識させてくれた。

・トヨタカップ/とよたか先輩は、美術予備校でお世辞にも上手とは言えなく、さらに、友達がいないのに講評会中にオナラをしちゃうような人だから、先輩にも後輩にもクスクス笑われてる事が多かった。でも、僕は彼の描く超下手くそな石膏デッサンの質感が密かに好きだった。どんな質感でも、普通は1つか2つの、他の何かの質感に例えうる。スポンジ ケーキみたいな柔らかさとか油粘土みたいにしっとりとか、少々複雑でも、湿った砂糖みたいとか重ねた網戸みたいとか。でも彼のは、どんな組み合わせでもどんな切り口でも、なんとも言い表せない未知の、未来の素材感だった。そして、何を描いてもいつ描いても毎回ピッタリその質感になる。リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んで最初に思い描いた、11次元に存在するテクスチャーはトヨタカップ先輩の石膏デッサンだった。全ての次元を通過できるのは重力の素粒子のグライビトンだが、トヨタカップ先輩の石膏の質感も次元をすり抜けられる。マルスやヘルメスの姿形をしているが、大理石でもなく、石膏でもない。僕らの住む次元と隣り合った併走者の肌触り。僕はそのナゾの寸分違わぬ特定のフューチャリスティックなテクスチャーに魅入られてたけど、それが気に入っていることは、本人含め、誰にも言わなかった。

・今はスマートフォンになったので少なくなったようだ が、フィンランド人のAapoという友達は電話帳で一番上になるらしく、しょっちゅう間違え電話(ポケットの中で勝手にかけてしまう)が来たようだ。そして、パリに住む彼に、地元フィンランドから間違え電話が鳴ると、決まっていつも早朝。さらに、国際電話になるので、受けるだけで課金される。なので、留守電になる前に切ってしまいたいのだが、寝起きなのでだいたい間に合わない。文句を言おうと電話をかけると留守電になっていて、またそこで課金される。

・水門バイトからほど近い場所に、ヤブヅカ蛇センターというところがあり、蛇のハンバーグが食べられるという事でみんなで行こうとなったが、僕は風邪気味だったのでやめておいた。悔しさもあいまって「ヤブヘビかよ」って、 布団の中で声に出してみたけど確かに一人だった。

・ オランダでもドイツでも普段は花火は禁止されていて、大晦日だけ許されているので、年越しの花火はマジですごい。日本のは職人さんの素晴らしい技術を皆で眺める。欧州のは皆でやる。どっちも良いけれど、欧州のは、個人が集まって社会になるっていう当たり前の意識が可視化されている。それをどっちが良いと言うナンセンスさと、政治やそれに対する態度の差をどっちが良いというナンセンスさは似ていると思う。

・生物界において身体の大きさはかなり生死に関わる。ヤマメは、もともとそんな大きくない渓流魚だが、その中でも、身体の小さい弱いオスがメスをゲットできずに海に降りる。その危険な旅をくぐりぬけた一部の弱いオスは海の豊富な養分でサクラマスとなり、シャケのような十倍ぐらいの身体になって山に帰ってくる。驚きだ。さらに驚きなのは、海まで行かないで湖などで勝手にサクラマスになるやつがいるって事。もっともっともっとビックリなのは、渓流にとどまったままそのスイッチ押す奴がいる事。二度だけ見た事がある。意志の力。

・植木屋の親方の下で働いていた頃、椿や山茶花についてしまう毛虫、チャドクガにはかなり悩まされた。僕にとっては最悪で、抜け殻の風下にいるだけでかぶれるし、1度服についてしまったら洗濯しても次に着た時に再びかぶれるほどだ。
親方は「おい、ずいぶん繊細だな」とケタケタ笑い、山茶花の生け垣に分け入り、チャドクガがびっしりついた葉っぱを持って出て、しばらくアスファルトの上に置いて観察すると、おもむろに素手で一匹ずつ潰しはじめた。

・ フラットメイトのディエゴはすごいナイスなやつで、物腰柔らかく、細かい気遣いができる北イタリア人のナイスガイ。でも、僕が「ここは住むのにはとても良いけれど、コーヒーはあまり美味しくないよね」と言ったときだけ、吐き捨てるように「ああ、ダーティウォーターね」と言い、纏う雰囲気も少し荒っぽくなり少し身長も縮んだように見えた。

・「芽」が「花芽」と「葉芽」に判定される事を「分化」という。例えば梅の「花芽の分化」は八月のある週に行われる。盆栽屋さんなどはその時期に根っこごと掘り出してしまってアスファルトに干したりする。ようするに個体として死に近くさせる。そうすると、「芽」は全て「花芽」にかわる。自分の死に際して子孫を残す為に「実」をつけなければならず、そのために「花」を咲かせる。

・紅葉は尾根の、養分が少なく寒暖差が激しい過酷なところの方が綺麗に色づく。肥料をやり過ぎてしまう庭好きの人の庭ではあまり紅葉は綺麗にならない。

・リテラシーがそもそも備わってないんです。旧UWFに熱狂し、なんの疑いもなく、ついにルール無用の本気の時代が来たって思っていた。

・ 酔っぱらって始まった遠山の金さんに脈絡があるはずもなく、途中で赤ずきんちゃんが混ざってしまったりする。金さんがオオカミと赤ずきんちゃんを白砂に正座させて赤ずきんちゃんの「オオカミのお腹に石を詰めて水に沈めた傷害罪」などをキツく問われたりするのだが、最も注目すべき点は、演者以外全員酔いつぶれているので、裁いている人裁かれている人以外は御白州のまわりには誰も いないことだ。

・ラジオ放送室 松本:藤子不二雄の最大の発明は、ドラえもん(機械猫)ハットリくん(忍者)オバQ(おばけ)などホームステイタイプヒーローの発明だろうね。

・ 「魚の手づかみ」って言うと、みんな熊みたいなのを想像するが、「立ち技」「寝技」で言ったら間違いなく「寝技」だ。かなーりゆっくりで、文字通り水面下の静かな攻防。岩の下の見えない敵をゆっくり追いつめる。でも、彼等はかなり頭がいいし、洞察力、身体の筋肉はマジですごいので、技術と想像力が低い人には 決して捕まってくれない。
釣りで釣果がないと道具の仕立てや方法について反省し、「工夫」について強く考える。 でも、道具が間に入らない直接的なやり取りだと、野生の領域が発火するのか「ぶっ殺して家族に持ち帰ってやる」みたいな原始的な脳が覚醒する。そして、そんな原始的な情動の発火に際して、冷静に技術を発揮できるかどうかの一点を問われる。

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